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この玉の色を見分けた者には褒美をあげよう

 

 

前回のブログで、自分の眼鏡を通して、物事見ているという事を書きました。

 

自分の目に映っているものは、真実なのではなく、自分の目を通して見えている

ものということです。

 

こんなエピソードがあります。

 

「この玉の色を見分けた者には褒美をあげよう」。

乙姫さんが魚たちに尋ねると、

黒鯛は「黒です」、

鯖は「青色」、

カレイは「薄茶色」と、

みんな答えが異なった。

「どれが本当の色ですか」

「玉は無色透明、みなさんの色が映っただけです」

と乙姫さんは笑ったという。

(一万年堂出版 なぜ生きる)

 

自分の色が映るというのは、どういうことでしょう。

 

相手の行動を見た時に、それが自分のフィルターを通して映るということで、

たとえば、相手が道ばたのゴミを拾っているのをみて、

「あんな事をしてよく見せようとしている」

と思うのは、自分にも同じ心があるということです。

 

その自分の心が相手に映って、相手の行動がそのように自分の目に映って

しまうということです。

 

もしかしたら、相手には、そのような気持ちは全く無いかもしれません。

けれども、どうしてもそう思っていまうのは、自分の心が映ってしまって

いるということです。

 

またそのように思ってしまうということは、自分も同じ立場や状況に

なったら、そのような事をしてしまうということです。

 

そう考えると、相手ばかりがひどい人ということではなくて、

相手の立場や状況がそう言わせたり、そのような事をさせている

という事も考えられます。

 

会社でも部下の立場にいる時には、上司に対して、

「どうして、そんな数字の事ばかりいうのだろう。

自分たちがこんなに苦労をしているのを全然分かってくれない」

と思っている人でも、自分が上司の立場に立てば、部下に対して

「頑張ってはいるのかもしれないけれど、

数字が上がらなかったら、仕事も続けてゆけないし、

会社だった傾いてしまうんだから」

と思うようになります。

 

どちらが正しいというわけではなくて、

同じ事柄をみても見え方が違うということです。

 

相手の見え方が分かれば、相手の行動や言葉に対して理解する事が

できて、そうすれば、怒りの心も納まるかもしれません。

 

とはいっても、その見え方が分からないから、世の中に争いが絶えない

のですが、違う見え方があるという事を知っていることで、

ちょっと立ち止まって考える事ができるようになるかもしれません。

 

また続けて書いてゆきたいと思います。

 

 

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