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みな人の 心の底の 奥の院 探してみれば 本尊は鬼

 

昨日は、鬼の語源について書きました。

 

鬼とは、もともと「遠仁」と書いて、無慈悲な心の事を言われます。

普段は、そのような心がある事を隠して、人の為にしているような慈悲深い

姿を見せたりします。

 

仏典に、「外面菩薩内面夜叉」という言葉がありますが、

外見は菩薩のようにやさしく穏やかに見えるが、心の中は夜叉(鬼)のように

邪悪で恐ろしい姿を言われています。

 

一番始めに載せた絵は、「大津絵」という滋賀県に伝わる絵ですが、

鬼が僧侶の衣を着ています。

外は僧侶のように優しい姿をしていても、内面は鬼が潜んでいることを

表した絵です。

 

みな人の 心の底の 奥の院 探してみれば 本尊は鬼

 

という歌がありますが、心の奥底を探して見つめていくと、その奥座敷の

仏壇の中央には、本尊として鬼が座っているということです。

 

自分の心を見つめないと、その心にはなかなか気がつかないものです。

切羽詰まった時に、その心に気がつくと書きましたが、

普通に生活していて切羽詰まった状態になる事はあまりないかも

しれませんが、人の為によい事をしようと心がけて、それを実行して

ゆくと、自分のその鬼の心に気がついてくるものです。

 

ボランティアで、人の為に一生懸命に尽くすほど自分の嫌な心に気が

つくと話をしていた友人もありました。

 

自分には、そんな自分の事しか考えない、我利我利の鬼の心はないと

思う人は、よほどの人格者か、もしかしたら、自分の事ばかりを考えて

いるために、その我利我利の心に気がついていないのかもしれません。

 

仏教を聞くということは、自分の心の中の中に入っていくようなものだと

言った高僧もありましたが、

自分にも我利我利の心があると気がつくと、自分が相手の立場に立てば、

同じ事をしてしまうだろう、もしかしたら、もっとひどい事をしてしまう

かもしれないと、相手の事を少しは理解出来るようになるかもしれません。

 

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