Read Article

妬み嫉みは、愚痴の現れ。

Kapa65 / Pixabay

 

前回のブログで、愚痴とは、愚かで馬鹿な心と書きました。

 

それは、自分の幸福や不幸は、すべて自分の行いの結果であるという

因果の道理が分からない心であると教えられています。

 

自業自答という事が分からないから、人を恨んだり、憎んだりする

心となって現れるのですが、別の形でそれが現れると、

嫉み(ねたみ)、嫉み(そねみ)の心となります。

 

どちらも女偏がついていますが、男女にかかわらず、全ての人が

もっている感情でしょう。

 

国語辞典でその意味を調べてみると、以下のように出てきました。

妬み嫉み

他人を羨ましく思い、その分だけ憎らしいと思う感情。「嫉妬」と同義。「妬み」と「嫉み」はいずれも羨望と憎しみの入り混じった感情を表す。「妬み」は羨ましく口惜しい、腹立たしいといった意味合いが若干強い。「嫉み」は羨ましくて憎い、呪わしいといった意味合いが若干強い。

 

妬みと嫉みの違いについて、尋ねられる事があり、調べてみましたが、

いろいろな意見はりますが、はっきりとした違いは分かりませんでした。

 

はっきりしているのは、いずれも、他人をうらやましく思い、自分の不遇を

呪っているという心でしょう。

 

人の幸せを見ると、なぜか心から喜べない、口では、「おめでとう」

といいながら、心の中では、いやなどす黒い感情が出てきたり、

自分より優れた人が失敗をしたりすると、口では、何でも手伝うよと

慰めながら、心の奥底ではほくそ笑んでいる心が見えてきます。

 

そんなとても人に言えない黒い心ですから、この愚痴の心を黒い鬼と

表現されたのです。

 

そういうと、自分は、そんなに人の幸福をねたましく思う気持ちはないし、

失敗したり困っているのを見ると、純粋に助けてあげたいという気持ちに

なるよ、という人もあるかもしれません。

 

それは、とても素晴らしい事で、この醜い心がないにこした事はありません。

しかし、よくよく心の中を見つめてみますと、この愚痴の心も鬼の心ですから、

我利我利の心ということです。

 

つまり、自分と欲と関係の無い人の成功や幸せを見ても、そんな妬み嫉みの心は

起きてはこないでしょう。

 

なでしこJAPANが優勝したり、内村航平が金メダルを取ったのをテレビで見て、

「なんであいつばっかり」と嫉む人はあまりいないでしょう。

 

また、サッカー日本代表選手がシュートミスをしたのをテレビで見て、心の中で

ニヤリとする人もないでしょう。

 

しかし、ぎりぎりで選考に漏れてベンチに入る事を余儀なくされた人から見ると

どうでしょう。

自分とのポジション争いに、コネを使って勝利した選手が、活躍している姿を

見て、純粋に拍手を遅れるでしょうか。

その人が大きなミスをした時に、心から慰めてあげられるでしょうか。

 

嫉んだり、嫉んだり、そんな心はないという人は、自分と利害関係の

ない人を見て言っているだけで、自分と近い立場の人の幸福や不幸は、

また違った見え方になるのではないでしょうか。

 

お釈迦様の心の洞察は計り知れない深さで、知れば知るほど、

決して自分は人の事をあれこれいえるような清らかな存在ではない

事が知らされます。

 

それが分かって初めて、どんな人と会ったも、同じ凡夫として、

相手を理解し受け入れようと思って接する事ができるようになるの

ではないでしょうか。

URL :
TRACKBACK URL :

Leave A Reply

*
*
* (公開されません)

Return Top