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仏教では、人間の心を8つにわけて八識と教えられています。

業力について続けて書いています。

私たちの行いは、業力となって、結果を生み出します。

結果が返ってくるまでは、業力は消えずに残っていますので、

それを業力不滅と言われます。

 

不滅の業力がどこに残っているのかというと、

私たちの阿頼耶識という心に残っていると仏教では教えられています。

 

仏教で「識」とは心ということですから、

阿頼耶識は、阿頼耶という心です。

 

仏教では、私たちの心を8つにわけて、八識と教えられています。

眼識(げんしき) 色や形を見分ける心。

耳識(にしき)  音を聞き分ける心。

鼻識(びしき)  匂いをかぎ分ける心。

舌識(ぜっしき) 甘、辛、酸など味を分ける心。

身識(しんしき) 寒・暖、痛・快などを感ずる心。

●これらを「前五識(ぜんごしき)」といわれます。

意識(いしき)  前五識を統制し、記憶・判断・思考・命令する心。

末那識(まなしき)執着する心。

阿頼耶識(あらやしき)

三世を貫く永遠の生命。全ての業力をおさめている処だから、
蔵識ともいわれる。
「アラヤ」は「蔵」の意。

 

意識という言葉は、日常生活でもよく使いますが、仏教から来た言葉です。

眼と耳と鼻と舌と身体の心を意識よりも前にある5つの心ということで、

前五識と言われます。

 

この前五識は外界からの情報をキャッチして、それを意識に伝達する

働きがあります。

 

意識はその情報を記憶したり判断したりする心です。

だから同じものを見たり聞いたりしていても、意識が違うので、

全く覚えているものが違うという事があります。

 

同じものを見ていても、意識がいると判断したものを記憶するので、

人によってその判断が違いますから、覚えているものと覚えていないものの

違いがあるんですね。

 

たとえば男性と女性で商店街を歩いている時に、同じ風景を見ているのに、

覚えているものが全く違うという事があります。

 

男性は、

「あのテレビ、安かったね」

と会話を振っても、女性は、

「そんなのどこにあったの?」

と答えるかもしれません。

 

反対に女性が

「それより、あそこの花屋さんのお花綺麗だったでしょう」

といっても、男性は

「え、花やなんってあったけ?」

とちっとも覚えていないかもしれません。

 

同じ物を見ているはずですが、テレビの情報は男性の意識が必要と

判断したのですが、女性はいらないと思ったのでしょう。

反対に花を見た時に、女性の意識は、それをしっかり記憶したのですが、

男性は、不必要な情報と思ったので記憶に留めていないのですね。

 

また、テレビゲームに熱中している子供に話しかけても、

全然返事もしなかったのが、ゲームオーバーになった瞬間に、

「え、なんか呼んだ?」

と急にリアクションするのも、耳には届いているのですが、

意識が別の物に集中している間、その言葉が届いていなかったという

ことでしょう。

 

そう考えて見ると、仏教で教えられる八識は、なるほどと納得します。

さらに仏教では、もっと深いところに心があると教えられているのです。

 

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