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無意識の発見!?

前回のブログで、仏教では、私たちの心を詳しく8つにわけて教えられています。

それを八識といいます。

眼識(げんしき) 色や形を見分ける心。

耳識(にしき)  音を聞き分ける心。

鼻識(びしき)  匂いをかぎ分ける心。

舌識(ぜっしき) 甘、辛、酸など味を分ける心。

身識(しんしき) 寒・暖、痛・快などを感ずる心。

●これらを「前五識(ぜんごしき)」といわれます。

意識(いしき)  前五識を統制し、記憶・判断・思考・命令する心。

末那識(まなしき)執着する心。

阿頼耶識(あらやしき)

三世を貫く永遠の生命。全ての業力をおさめている処だから、
蔵識ともいわれる。
「アラヤ」は「蔵」の意。

 

前回は、6番目の意識まで説明をしましたが、

この6番目までは、表面に表れている私たちも認識できる心です。

だから、最近になるまで、この意識までが、私の全てだと思われて

いました。

 

ところが、この100年ほど前から、意識よりももっと深い所に心がある

という事が西洋の心理学で解明されてきました。

それが「無意識の発見」であり、それから西洋の心理学は大きな発展を遂げ

現代の成功哲学もそこから生まれてきた訳ですが、

仏教では、二千年も前から、意識よりも深いところに心があると教えられて

います。

 

その事に現代の心理学者も驚いています。

 

日本の心理学の第一人者として知られる河合隼雄さんもコラムの中で

このようにコメントしています。

 

アンリーー・エレンベルガー著、木村敏・中村久夫監訳『無意識の発見』(弘文堂)という書物がある。

「無意識」という考えを心理学に導入し、それぞれの学派を打ち立てたフロイト、アドラー、ユングたちの考えが徐々に一般に受けいれられ、深層心理学などという領域が急激に発展してきたことは、今世紀の特徴であり、人間の精神史を考えるとき、二十世紀における「無意識の発見」ということは特筆すべきことのひとつとなるだろう。

この書物は上下二部に分かれ、大部のものである。その中で、このような「無意識の発見」が行われるについては、西洋においてどのような前史があり、先にあげた三人の巨人たちがどのような経緯を経て自説を打ち立てていったかを語っている。こう言うと読むのは大変と思われそうだが、読んでいて実に面白い本で、ほんのあつさなど問題なく、読み出すと時間を忘れてしまう。そして西洋の文化のもつ重みというものが、ずっしりと伝わってくる。大事は一朝一夕になされるものではないし、一人の人間の力でなされるものでもないことが実感させられる。

ところで、最近は仏教にも関心があるので、仏教の本も覗いている。京都大学には長尾雅人名誉教授のような大先輩がおられ、その著書『摂大乗論 和訳と注解』という、これまた上下二部で『無意識の発見』に匹敵する大部の本がある。素人の気安さで勝手読みしていて思ったのは、西洋では仰々しく「無意識の発見」などと言っているが、仏教ではそんなの当たり前のことだったのではないか、ということである。仏教の「唯識学」などは

深層心理学そのもので、千年以上もたってから西洋で「発見」などと言い立てることもない、とも言えそうである。

ここで、ふと私が想起したのは、コロンブスによる「アメリカの発見」という考えである。コロンブスの偉業は西洋社会において大いに称えられてきた。ところが、最近になって論調が変わってきた。コロンブスがアメリカを「発見」したなどとわざわざ言うことはない、そこにはアメリカ・インディアンが元から住んでいたではないか、というのである。これは何につけ欧米中心の発想ばかりで考えていた人たちが、その考えの誤りに気づき発想の転換をはじめたからである。そして、アメリカ・インディアンという呼称をやめ、ネイティブアメリカンと呼ぶようになった。彼らこそ先住者なのだ、というわけである。

このことを考え合わせると、仏教徒は無意識界の「先住者」だった、と言えそうに思う。ネイティブ・アメリカンは、そこに居たので「発見」などしなかった。それと同じように、仏教者たちは、無意識のなかに居たので「発見」など思いつかなかったのだ。フロイト、アドラー、ユングなどと麗々しくいわなくて、自分たちの住んでいたところに誇りを持ち、西洋の学問など見向きもしない方がいいのだろうか。

アメリカを「発見」しsた西洋人たちは、長らく先住者の文化を蔑視し、あるいは、無視してきた。しかし、既に述べたように最近ではその態度を変え、先住者の知恵を何とか自分たちの生活に取り入れようと努力しはじめている。その結果、大いに得るところがあるのは、結局は白人たちで、ネイティブ・アメリカンの人たちは以前より少しはよくなるとしても、自分たちの文化を発展させることは難しいのではないだろうか。

アメリカにおいて、仏教に対する関心が高まりつつある。無意識界の「先住者」に対する評価が高まってきたのだ。しかし、下手をするとネイティブ・アメリカンに生じたのと同じことが起こるのではないか、と私はおそれている。

仏教国に住んでいる仏教徒は相変わらずのままでいるうちに、それを「発見」した欧米人のみが、仏教から多くのものを得るということがになっては残念なことだと思う。

(河合隼雄著 平成おとぎ話 潮出版社)

 

今、アメリカを初め、西洋社会で仏教に関心を持つ人が増えていると感じます。

京都や奈良の仏閣に観光に来たり、寺に宿泊する外国人も多いと聞きます。

 

多くの人が仏教に関心を持ち、そこから多くを学び取ろうとしているのに、

仏教国と言われ、仏教の文化の中に育った日本人が、仏教から何も学ぼうと

しないのはとても残念な事です。

 

私の友人も、宿坊で知り合った外国人に仏教とはどんな事を教えられているのか

尋ねられて答える事ができずに残念な思いをしたと語ってくれましたが、

外国人に尋ねられたら、どんな事を教えられたがの仏教か話ができるように

なりたいですね。しかも英語で★

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