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執着する心が争いを生み出す

 

私たちの心について仏教では、8つにわけて八識と教えられている

と書きました。

仏教では、意識よりももっと深いところに心があると教えられています。

 

末那識とは、執着する心のことです。

執着とは、これは、私のものと思う心です。

 

仏教では、執着の心で、悪を作ると教えられています。

考えて見ると、執着の心で私たちは人と争ってケンカをしています。

 

3歳の娘と1歳の息子がいますが、よくこの執着の心でケンカをしています。

というよりも、娘が一方的に弟を突き飛ばしいるだけなのですが…。

 

息子が娘のおもちゃを取ろうとはいはいして近づいてくると

「だめ。これは私の!」

と、息子をはねのけて、息子は、泣いてしまっています。

参考(子育て事件簿24時

 

では、執着心でケンカしているのは、子供だけかというと、

大人になっても、執着の心で争っています。

 

「オレの彼女に手を出すな!」

と腹を立てている男性は、執着心で怒っています。

「私の仕事に口出ししないで下さい」

というのも執着の心です。

「うちの家にあなたの家の植木が入って来ている!」

というのも執着の心で、殺人事件にも発展してしまいます。

1989年2月15日 松山市・”境界線トラブル”隣人刺殺事件

愛媛県松山市に住むBさん(44歳)が隣家に住むタクシー運転手・A(当時45歳)に刺殺された。
Bさん宅は2年ほど前から増築工事中だったが、その際、A家のブロック塀いっぱいに棟が迫っていたため、AはBさんに「違法建築だ」「工事音がうるさい」と苦情を言っていた。これに対し、Bさんも「お宅の植木だって、こちらにはみ出してるではないか」と反論、日頃から口論が絶えなかった。この日は土地の境界線のことでまた口論になり、カッとなったAが植木用の刈りこみハサミでいきなりBさんの首を刺した。
(参照 ご近所トラブル事件 http://yabusaka.moo.jp/kinrin.htm)

遺産争いで、思わぬお金が入ってくるとなった時でも、

自分の取り分が少しでも多くなるようにと、兄弟同士で骨肉相食む

争いが引き起こされるのも、執着の心からです。

 

子供から大人まで、この執着の心で争い、憎み合っているといえるでしょう。

 

また個人だけで無く、国の単位に至るまで、この執着心で争いを起こしています。

「この島は我が国のものだ」

「古来から我が国所有の領土である」

と争いが絶えません。

 

宗教同士の聖地を巡っての争いは、1000年以上続いても

決着の見通しが立たずにいます。

 

普段は執着している人を見ると、

「浅間しい」「心が狭い」「そんなの譲ってあげたらいいじゃん」

といっている人でも、自分の領域が侵されるとなったら、

全力でそれを守ろうとするものです。

 

意識では、争ってもいい事はない、譲ってあげてもいいじゃないかと

思っていても、もっと奥底にある執着心は、とてもコントロールする

事はできません。

 

そう考えて見ると、自分で認識できる心よりも、認識できない心によって

私たちは動かされているのだと、知らされ、お釈迦様の教えの深さを

感じますね。

 

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