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目に見えない力が目に見える結果を生み出す。

auntmasako / Pixabay

 

阿頼耶識について続けて書いています。

阿頼耶識とは、蔵のような心で、私たちの行為が目に見えない業力となって

阿頼耶識に収まり、縁が来た時に、目に見える結果となって現れます。

 

力は、目に見えませんが、それが目に見える結果を生み出します。

その事を表した歌が、

年ごとに 咲くや 吉野の山桜 木を割りて見よ 花のありかは

です。

 

奈良にある吉野山は、桜の名所で、

下の千本、中の千本、上の千本、奥の千本

と言われて、沢山の桜の木があり、春になると、

桜が山か 山が桜か

と言われるほど、山中が桜の花で埋め尽くされます。

 

ある人が、その吉野山に冬に行ってみたところ、枯れ木のようなものが

つくんつくんと立っているだけでした。

もうすぐ春になって、桜の花が咲くはずなのに、どこにも桜の花びらが

見当たらないと思ったその人は、木の中に花びらを隠しているのかもしれない

と思って、木の枝を細かく刻んでみましたが、花びら一枚見つかりませんでした。

 

これは、花びらが木の中にあって、それが出てくるのではなくて、

花を咲かせる勢力を木が持っていて、それが春の陽気という縁とふれあって

花を咲かせるということです。

 

目に見えない勢力が、春の陽気という縁とふれあって、目に見える花びらと

なって現れるということです。

 

私たちの阿頼耶識にも目に見えない業力が収まっていて、

それが縁が来る事で、目に見える結果として現れます。

 

たとえば、上司に対する不満をずっと思い続けていると、

その業力がどんどん蓄えられていきます。

そして、それは目に見えるものではありませんが、

何かのきっかけで目に見える言動となって現れます。

 

たとえば、酒に酔った勢いで、普段思っている事が言葉となって

現れて来ます。

表に現れた時に、驚いたり、慌てふためいたりする事はあっても、

目に見えない業力に気がつく人はありません。

仏教を聞けば聞くほど、目に見えない業力の強さが知らされ、

その業力のよって動かされている事を感じずにおれません。

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