Read Article

家と蔵の関係

八識について続けて書いていました。

仏教では、私たちの心を8つに分けて八識と教えられています。

眼識(げんしき) 色や形を見分ける心。

耳識(にしき)  音を聞き分ける心。

鼻識(びしき)  匂いをかぎ分ける心。

舌識(ぜっしき) 甘、辛、酸など味を分ける心。

身識(しんしき) 寒・暖、痛・快などを感ずる心。

●これらを「前五識(ぜんごしき)」といわれます。

意識(いしき)  前五識を統制し、記憶・判断・思考・命令する心。

末那識(まなしき)執着する心。

阿頼耶識(あらやしき)

三世を貫く永遠の生命。全ての業力をおさめている処だから、
蔵識ともいわれる。
「アラヤ」は「蔵」の意。

前回まで、8番目の阿頼耶識について書いていました。

多くの人は、意識が私と思っていますが、仏教では、本当の私は、

阿頼耶識であると教えられています。

 

アラヤというのは、昔のインドの言葉で、蔵ということです。

蔵というのは、蓄えるものということで、

阿頼耶識は、業力を蓄える心ということです。

私たちのやった行いは、業力となって阿頼耶識に蓄えられ、

縁がきた時に、結果を生み出します。

 

私たちの身体は、たとえると、母屋(おもや)のようなもの

つまり普段生活している家のようなものです。

 

それに対して阿頼耶識は蔵のような心ということです。

 

母屋は、木で出来ているので、火事になると燃えて灰になってなくなります。

それに対して、蔵は土で出来ているので、火事になっても燃えずに残ります。

 

だから、大事なものを蔵の中に入れて保管しておくのですが、

現代でいえば、金庫のようなものでしょう。

金庫は、火事になっても燃えずに残るように作られています。

 

肉体は、死ねば焼いて灰になってなくなります。

しかし、阿頼耶識は、死んだ後も消えずに残ります。

 

肉体は、生まれて、やがて死んでいきます。

阿頼耶識は、生まれる前から、死んだ後も残る心であると

仏教では教えられています。

 

過去世、現在世、未来世を仏教では、三世と教えられていますが、

その三世を貫いて変わらない本当の私が阿頼耶識であると教えられて

います。

 

そして、その三世を貫いて、因果の道理が成り立つので、

三世因果の道理とも言われます。

 

私たち人間の智恵では、生まれてから死ぬまでの事しか分かりませんが、

仏の智恵で、三世を通しての因果の道理を説かれたのですが、

これは、仏教を聞かないと分からない事ですね。

 

URL :
TRACKBACK URL :

Leave A Reply

*
*
* (公開されません)

Return Top