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ブラック企業恨む新入社員

 

前回のブログで、因縁果の道理について書きました。

 

因果の道理は、因と縁が結びついて、結果が現れる、

因縁果の道理です。

 

あくまでも結果を生み出すのは、因であり、縁はそれを

助ける働きです。

 

縄を恨む泥棒でいえば、

縄にぐるぐる巻きにされて苦しんでいるという結果の

縁は縄ですが、因は、泥棒という行いであって、

自分の行いが結果を生み出している自因自果に間違いありません。

 

その縁を因のように勘違いして恨んでいるのが、

他因自果です。

 

では、ブラック企業に入社した為に苦しんでいる新入社員はどうでしょう。

 

この場合、新入社員は、まじめに一生懸命仕事をしているのですが、

充分な給料ももらえず、肉体的にも精神的にも追い詰められて

苦しんでいるのですから、善因悪果のように思いますし、

本人は悪くない、悪いのは会社というように考えるでしょう。

 

しかし、この場合の因は何でしょうか。

それは、ブラック企業に入社をした事です。

自分の家のすぐそばにブラック企業があったとしても、

そこに入社をしなければ、こんなに苦しむ事はありません。

 

この苦しみは、こんな会社に入社したという自分の行いから

発生している訳ですから、やはり自因自果です。

 

しかし、そういうと、

「いやいや、ブラック企業だと分かっていたら入社しませんでしたよ」

という反論が返ってきそうですが、

面接の時に、「うちは俗に言うブラック企業ですが、それでも入社しますか?」

なんて聞く、面接官はいないでしょう。

 

ブラック企業でないかどうかは、自分で調べないといけません。

どうやって調べるのか、

それには、いろいろな手段があります。

メディアは信用できないという意見もありますが、

インターネット上で情報を収集して参考にするとか、

社員の人とコンタクトを取って、実情を聞いてみるとか、

離職率のデータを調べてみるとか、

それらの事をしないで、内定が取れた事に安心をして、安易にその会社に

入ってしまったとしたら、それはその人の選択に問題があったという

事になります。

 

会社に入って、一生懸命に働くという行為自体は、悪い行いではありませんが、

その会社に入るという選択をした事が原因となって、今の結果が起きている

ということです。

 

その場所でどんな仕事ぶりであるかも大事ですが、

働く場所を選ぶ、その選択がもっと大事です。

 

そう言うと、さらにこんな反論が返ってくるかもしれません。

「それは、いくつか内定が取れていたら選択できますけど、

私は、この会社しか内定がなかったんです。

選択の余地はなかったんですよ」

しかし、考えてみて下さい。

その会社しか内定が出なかった原因はなにでしょうか。

それは、その人の過去の選択の結果です。

 

学生だった時から、どんな選択を続けてきたのかを考えて

みましょう。

家に帰って何をするか、いくつかの選択肢があります。

 

1、寝る

2、テレビを見る

3、ゲームをする

4、マンガを読む

5、勉強する

もしかしたら、この人は、5番目の選択をほとんどしてこなかった

のかもしれません。

 

もし、5番目をもっと選択していれば、就職する企業の選択肢も増えた

のでしょうが、就職先の選択の幅を狭めてしまったのは、

過去の選択の積み重ねと言えるのではないでしょうか。

 

反対に、5ばかりを選択し続けて、いい大学に入り、いい会社に入る

ことばかり考えて、自分の人生における幸せとは何かを見つめることを

してこなかったという人もあるでしょう。

 

その場合は、世間的に評価される会社にはいったものの、

その会社での立場や評価を守る為に、仕事のことしか考えられなく

なって、大切なものを失ってしまうという事もあります。

 

そう考えていくと、やはり自分の受けている結果の原因は、

自分の行い(選択)にあると分かります。

 

「じゃあ、ブラック企業は悪くないのですか」

という怒りの声が聞こえてきそうですが、

もちろん、ブラック企業を悪ではないと言っている訳では

ありません。

 

その会社は、企業体質を改善してもらわなければなりませんし、

そんな会社がはびこらないような法制度の改正も必要でしょう。

 

ここで話題にしているのは、自分が受けている結果の原因は、

どこにあるのかというこであり、それは、自分の行い、選択が、

生み出したものであるということを知るのが大切という事です。

 

「それは、あまりにも厳しすぎませんか」

という声も聞こえてきそうですが、

そうです、そういう事からいえば、仏教は、厳しい教えです。

 

自分に現れる運命の全ては、自分の行いによるものであると

認めることは、とても厳しい事です。

人のせいにしたり、手相のせいにしたり、神を恨んだりした方が

ずっと楽かもしれません。

 

しかし、それは一時的な楽であって、根本的な問題解決にはなりません。

自分の行いとみることから、未来が拓けてくるのであって、

それを教えられているのが仏教の因果の道理です。

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