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行われていないのか、聞こえていないのか

自分を知る事の大切さについて続けて書いています。

私たちが幸せになろうとする時に、自分を知る事はとても大切です。

 

ところが、自分は、分かっているようで、実は分かっていないもの

と言われます。

 

自分の事が分かっていない事を表したいろいろなエピソードが

ありますが、いくつか紹介したいと思います。

「本当の私」とは何か。自分自身のことだから、これほど大事なことはなかろう。
「世界で最大のことは、自己を知ることである」とモンテーニュは言っている。全思想の固定した、動かし得ない中心テーマは、明らかに〝自分とはなんぞや〟であったと、E・カッシーラー(ドイツの哲学者)も断言する(『人間』)。
自分のことは自分が一番知っている、と思いがちだが、「汝自身を知れ」と古代ギリシアからいわれてきたように、もっともわからないのが自分自身ではなかろうか。はるか宇宙の様子がわかっても、素粒子の世界が解明されても、三十億の遺伝子が解読されても、依然としてわからないのが私自身なのだ。
心なき者のしわざか、背中に矢の刺さった痛々しいカモの映像が、視聴者のあわれを誘ったことがある。料理店で、その矢ガモのテレビを見ながら、「なんとむごいことを……」と顔をしかめて、カモ鍋を食べている人を見て、「自分のことはわからんものだなぁ」と反省させられたものである。こんな自己矛盾は、いくらでもあろう。

(一万年堂出版 なぜ生きる)

 

私は、職業柄いろいろな人の悩み相談を受ける事があります。

ある時、こんな方がありました。

「先生、先生は、人の悪口を言う事をどう思いますか?」

私「そうですね、あまりいい事ではありませんね」

「そうでしょ!! 人の悪口を言うなんて、最低の人間のする事ですよね!」

私「確かに、あまり人の悪口を言わない方がいいですね」

「聞いて下さいよ、〇〇さんって、私の事をこんな風に言っているんです!

そもそも、〇〇さんだって、こんなことをしているし、あんなこともしているし、

こんなひどい人なんですよ!! この前なんかね・・・・・」

聞きながら、心の中で、

(あの、悪口を言うのは、最低の人のする事では無かったのでしょうか・・)

と思いながら、これは言ってはいけないと、口に厳重にチャックをしました。

なかなか自分の姿は分からないものです。

「昔のニワトリは、夜明けに必ず鳴いて、時を知らせたもんだが」
「今は、ニワトリまでがナマクラになりよって、こまったもんだ」
耳の遠くなったことに気づかぬ、田舎の老夫婦の会話を聞いて苦笑したことがある。
まさに「知るとのみ 思いながらに 何よりも 知られぬものは おのれなりけり」ではなかろうか。

(一万年堂出版 なぜ生きる)

小学校の近くに住んでいるお婆さんが、

「最近は、夏休みになっても、ラジオ体操をしなくなったんだねぇ」

と言っていたのを思い出しましたが、

ラジオ体操は、もちろん今も、毎朝行われています。

それが聞こえなくなったのだとは、なかなか気がつかないものなのです。

 

考えてみると、自分の事を知らない為に、無用なトラブルを引き起こしたり、

トラブルに巻き込まれたりする事も多いのだと思いました。

 

自分はこうだと思っている自分の姿と、実際の自分の姿には、

大きなずれがあるのかもしれません。

まず、自分の事をよく知っているという心を捨てるところから、

本当の自分の姿が見えてくるのかもしれませんね。

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