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近すぎて見えないもの

Silberfuchs / Pixabay

 

自分の姿を知ることについて続けて書いています。

幸せになるには、自分の姿を正しく知ることがとても大事です。

けれども、自分のことはわかっているようで、なかなかわからない

ものです。

 

なくて七癖

という諺もありますが、どんなにクセがないと思っていても、

自分が気がついていないだけで、必ずなんらかのクセがあります。

 

職業柄、人が話をしているのを聞く機会が多くあり、アドバイスを

求められますが、「こんなクセがありますね」というとほとんどの人は、

「そうなんですか。気がつきませんでした」という反応をされます。

 

もちろん、私も、「こんなクセがありますね」と言われた時は、

自覚がありませんでした。

 

わかっているようで、分からないのが、私というものなんですね。

どうしてそんなに自分のことが分からないのでしょうか。

それは近すぎて見えないと言われます。

 

中国,六朝末の家訓書、顔氏家訓に

(め)はその睫(まつげ)を見る能(あた)わず

と書かれています。

 

目はなんでも見ることができるが、自分のまつげを見ることはできない。

他人の欠点にはよく気づくが、自分の欠点は見えないことのたとえで、

まつげはうっすらと見えますが、はっきりと見ることはできません。

 

私たちの目は、あまり遠くにあるものも見ることができませんが、

近すぎるものも見ることができません。

 

同じように自分の姿も、近すぎて見えないと言われます。

 

灯台下暗し

という諺もありますが、私たちは身近なものには案外気がつかないものです。

油が入ったさらに身を浸して火を灯す、燭台の下は影になっていて暗いという

意味ですが、船に方向を指し示す灯台も確かにその下は暗いですね。

 

自分は自分に近すぎるために、よく分からないということです。

では、その近いものを見るにはどうすればいいのでしょう。

自分のまつげや眉毛をよく見るためには、鏡が必要です。

 

自分の姿形を見るのであれば、店で売っている鏡を買ってくれば済みますが、

自分とはどんな人間なのかを知る時に、私たちが見る鏡が3つあると

言われます。

 

それはどんな鏡なのか、次回から詳しく書いてゆきたいと思います。

 

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