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前科の回数でさえも自惚れのタネに

ElisaRiva / Pixabay

 

お釈迦様は私たちの自惚れ心を7つに分けて、七慢と教えられています。

(1)慢(まん)

(2)過慢(かまん)

(3)慢過慢(まんかまん)

(4)我慢(がまん)

(5)増上慢(ぞうじょうまん)

(6)卑下慢(ひげまん)

(7)邪慢(じゃまん)

の7つです。

 

最後の邪慢についてですが、これはよこしまなうぬぼれという

ことで、本当は恥ずかしいことを自惚れるということです。

 

スリが「どうだ、俺ほど人の財布を上手にスルことができるものはないだろう」

と自惚れるとか、刑務所の中で、前科の回数や、罪の重さを

自慢するなど、本当は恥ずかしい、隠しておかないといけないこと

なのですが、それをうぬぼれの材料にしてしまうということです。

 

そんなバカなことをする人があるのかと思うかもしれませんが、

私たちの日常会話でも、邪慢は色々な形で現れています。

小学校でテストが返ってきた時に、

「お前何点だった?」

「50点だったよ」

「俺なんて30点だぜ!」

「へ、俺なんか10点だもんねー」

「すげー!!」

全然すごくないのです。本当は隠しておかないといけないの

ですが、それを自慢の種にしてしまう。

大学生になっても、単位をいくつ落とし方で自慢するなど、

あまり成長していないようです。

 

「俺この前、名神高速を130キロで走ったぜ!」

「俺なんか、150キロ出したことあるよ」

と交通違反を自慢する人もあります。

 

私はこれまでこんなひどい男性の人と付き合っできたの。

私の元彼の方がもっとひどいわ

と、ダメ男遍歴を自慢する人だってあります。

 

自分に人に優っていることがないと思っても、

マイナスポイントさえも自慢の種にしてしまうという

どこまでも、自惚れいっぱいの自分の姿を

お釈迦様は明らかにされています。

 

自惚れは 人に見えても 身に見えぬ

と言われて、他人の自慢話は、聞いていて

「またあんな自慢ば話をして…」

とすぐに目につくのですが、自分のうぬぼれは、

自分ではなかなか気がつかないものです。

 

その自惚れ心をお釈迦様は、具体的に7つに分けて教え

られているのですが、自分の心を見つめていくと、

全てを見抜かれるお釈迦様の教えを驚かずにおれません。

 

自分で自分の姿を見ようとしても、この自惚れ心から離れることが

できないために、正しく自分の姿を見ることができない、

自分鏡は、正しく自分の姿を映してくれる鏡ではないと言われる所以です。

 

では、どうすれば自分の正しい姿を見ることができるのでしょうか。

3枚の鏡の3番目の法鏡とはどんな鏡なのでしょうか。

次回続けたいと思います。

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