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私たちの舌は刀にもなる

口で造る悪について続けて書いていますが、

言葉は、人の心を傷つけ、苦しめることが多くあります。

 

仏教では、語殺とか、舌刀と言う言葉で表されますが、

言葉で人を殺したり、舌が刀ようになって、心を切り刻む

と言うことです。

 

それだけ言葉が相手に与える影響は大きく、

一言が相手を深く傷つけ苦しめることがあると言うことです。

私たちも、これまでの人生で、誰かに言われた一言で、

深く傷ついて、そのことが今も忘れられないと言うことが

あるのではないでしょうか。

 

何年も経った後でも、何月何日何時頃にあの場所であの人に

言われたあの言葉が、今も心を傷つけると言うことがあったりします。

 

ところが、その言葉を言った人は、そのことをほぼ100%覚えてはいません。

え、そんなことを言ったっけ?

いや、それは俺じゃないと思うよ。

と、自覚さえもない場合がほとんどではないでしょうか。

 

しかし、考えてみれば、自分が苦しめられたことを言った相手が、

全く自覚がないと言うことは、裏を返せば、私自身が相手が傷つく

ことを言っていても、私自身は全く気づいていないと言うことも

あると言うことです。

 

しかし、無自覚に言った言葉が、どれだけの人を苦しめ、傷つけ

殺しているかわかりません。

 

しかも、悪を作っていると言う自覚がないので、相手を苦しめ

傷つける言葉を言い続けることになり、その及ぼす影響は、

大変大きなものになってしまいます。

 

「そんなつもりで言ったのではない」

という言葉をよく聞きますが、悪意を持っていなかったり、相手を

褒めたり慰めたりする気持ちで言った言葉であっても、相手が、

傷ついてしまったら、言う意味がないどころか逆効果になってしまいます。

 

そして、そのような言葉を使ってしまう人は、自分では気がついていない

ので、良かれと思って、人を傷つける言葉を言い続けてしまいます。

 

そして、他の人から指摘があっても、自分がどういう気持ちで言ったのかを

主張してしまいがちです。

 

自分がどう言う意図で言ったのかにこだわるよりも、相手がどう受け止めたか

を知ることの方が、意味のある努力ですね。

 

心は目に見えないものですから、それを相手に知ってもらうことはできません。

相手は、私の言葉を通してして、私の心を知るすべはないのです。

 

ということは、言葉によって私の心が判断されてしまうということであり、

よく気をつけないと、至る所で、敵を作り続けているということになりかねませんね。

 

綺語(きご)

両舌(りょうぜつ)

悪口(あっこう)

妄語(もうご)

という悪を造っているとお釈迦様が説かれた意味を多少なりとも

分かっていただけたのではないかと思いますが、

口常言悪 口は常に悪を言う

と言われると、それはちょっと言い過ぎなのでは、確かに悪いことも

いうけれども、いいこともそれなりには言っているし、常にというのは、

言い過ぎなのでは、と思います。

 

どうして、常に悪を言うと説かれたのか、次回にもう少し詳しく書いて見たいと

思います。

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