Read Article

あなたの為だから、その言葉の裏に透けて見える心

雑毒の善について続けて書いています。

これは、私たち人間の善を仏様が見られたら、毒の混じった善であり、真実の善ではないと教えられているということです。

ここで毒と言われているのは、お礼や見返りを期待する心のことであり、真実の善とは、そのような心が全くない善ということです。

人のためと言いながら、実は自分の利益のことを考えているというのが、私たちの善だと言われます。

だいぶ前のことですが、為替取引の会社「外為オンライン」のCMで、

「あなたの為だから」

といって、仕事を押し付けたり、デザートのケーキを食べたりという場面が描かれていたことを思い出しました。

外為とあなたの為をかけた宣伝なのですが、このようなあからさまなシチュエーションでなくても

「あなたの為を思って言っているんだからね」

という言葉の裏に、本当は自分のことを考えているのではないかという疑いを持ったことのある人は少なくないのではないでしょうか。

「日頃のご愛顧に感謝して、出血大サービス」

という広告に、買い物にきてお店を儲けさせてくださいね、という本心が透けて見えるようなものです。

また、それを言っている本人は、実は自分のことを考えている本心に気づかず、本当に相手のことを思っていると思い込んでいることもあるでしょう。

お釈迦様はそんな私達も気がつかない心を見抜かれて、私達の善を雑毒の善と説かれているのです。

では、どうしてお礼や見返りを期待する心を毒と言われるのでしょうか。

毒というのは、苦しめるものということです。

毒を飲んだら大変苦しみます。実際に毒を飲んだことのある人はあまりないと思いますが、食中毒は、大丈夫と思って食べたら毒だったということです。

私も海外に行った時に、ひどい食中毒になったことがありますが、体が動かなくなり、大変な苦しい思いをしました。

お礼や見返りを期待する心を毒と言われるのは、この心があるために、自分も他人も苦しめることになるからです。

何かをしてあげたときに、感謝やお礼の言葉が聞けたら、また実際に何かのお返しがあれば、特に何も思いませんが、それがないと嫌な心が出てくるからです。

こんなにしてやっているのに、と相手を憎んだり、恨んだりする心が出てきて、それが口や態度に出て、相手を苦しめたり、傷つけたりします。

そして、そんな心に気づいた時には、自分も嫌な気持ちになって、自分でも苦しみます。

そのような自分も他人も苦しめる心を毒と言われてるのですが、そのような心がなくなれば、どんなにか心やすらかに生きていくことができると思います。

そのような心なく善ができる人もあるのではないか、という質問を受けることもありますが、それについて次回から詳しく書いてゆきたいと思います。

URL :
TRACKBACK URL :

Leave A Reply

*
*
* (公開されません)

Return Top