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匿名希望は見返りを期待していない証拠?

雑毒の善について続けて書いていました。

仏教では、私たちのやる善には、お礼や見返りを期待する心が混じっているので、毒の混じった善だと言われます。

しかし、そのような見返りを期待する心を離れて善い行いができる人もあるのではないかと思います。

例えば、何かの寄付金を出す時に、自分の名前や会社の名前を出す場合には、それによって何かの見返りを期待しているのではないかと思いますが、匿名希望で多額の寄付金を出す人は、そのような心がないように思います。

確かに、明らかに売名行為と感じられるような寄付をする人に比べると、自分の名前を出さずに人のためにお金を出せる人は、高潔な人格を持っている人と言えるでしょう。

しかし、それについて何も期待していないとは言い切れないのではないでしょうか。

たとえ名前は公表されなかったとしても、寄付を受け付けている団体から丁寧なお礼の手紙がくることを期待する心はあるのではないでしょうか。

匿名希望で、さらに何のお礼も感謝の言葉もないのに、それでも何も思わないという人は、なかなかないように思います。

またテレビや雑誌などで、人の名前が出ている中に、「匿名希望」という文字が見えると、

「これは俺のことだな」と思ったり、
家族に「あの匿名希望は、お父さんなんだよ」と言いたくなってしまいます。

また、名前を出している人に比べて、自分は見返りを期待していない分、もっと苦しんでいる人のことを考えて純粋に寄付をしていると誇らしく思う心が起きてきたりします。

もちろん、寄付をすることはとても素晴らしいことですから、たとえ名前を出そうが出すまいが、感謝されようがされまいが、寄付をしたことで助かった人があるのですから、それは善い行いに間違いありません。

多額の寄付をしている人に対して、売名行為と批判する人がありますが、何もしない人よりも、売名行為であってでも、出された寄付は多くの人を助けることになりますから、素晴らしい善です。

雑毒の善といっても決して悪ではありません。善であることには違いありません。

ただ、純粋な善と言えるかといえば、仏様の眼から見られたら、純粋な善とは言えないということです。

そして、これは、純粋な善をしようと思えば思うほど、自分の心に、見返りを期待する心があることを知らされます。

震災などのボランティアに行く人でも、連休を利用して、仕事が休みの時に行く人は、たとえお礼や感謝の言葉がそんなに聞けなくても、いいことをしたという満足感を持って帰ってくることができるかもしれません。

しかし、本当に被災地の人の為になりたいと、仕事を辞めて、現地の人と同じ暮らしをしながら、ボランティアをしている人が、何のお礼も感謝の言葉もないままで続けられるかといえば、それは難しいことだと思います。

東日本大震災の時に、一番厳しい環境の中で、救援活動をしていたのは自衛隊の皆さんではないでしょうか。

テントの中で寝泊りをして、朝5時から救援活動や遺体の回収などをし、夜は翌日の打ち合わせをして休むのは夜中の11時、12時、食べるものは、缶詰が主で風呂も数日に1回しか入れないという過酷な環境の中で、活動しているというニュースを見た時には、とてもできることではないと思いました。

その自衛隊員が、仕事が終わる時に必ず立ち寄る場所があるそうです。
それは、避難所の近くに設置された掲示板で、そこには、地元の人からのお礼や感謝のメッセージが貼られています。

自衛隊の人は、その掲示板を見て、なんとか翌日の活動への活力を保っているということでした。

そのような自分を犠牲にして人の為に何かをした時に、それでも何の見返りもないという状況はとても耐えられないということです。

苦労して人を助ける活動をしている人ほどお釈迦様が言われることがより深く理解できるのではないでしょうか。

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